ナレーション「等」の、「など」っ、、、(悶絶)
「うちの飼い主,この日を一日千秋の思いで待ち続け、今日正座して22時にテレビ前、待機しとったで。オープニング瞬間五体投地して声にならない声を上げながら転げまわってたけどな」(byメダカ)
こんばんは。メダカの水替えしながら、我らにはお馴染み帽子シルエットの、あの御仁の、初テレビナレーションを聞きつつ、もう全ての日記800ページを番組中、副音声で朗読してくんねぇかなそしたら耳からヨダレと吐血とアドレナリンと明日への生きる活力よ、、、と、番組ナレーションの少なさに、少々物足りなく思ってたらば。
歌、、、歌っ、、、そりゃナレーションだけで終わるわけないかなー。と思ってましたけどっ、、、いや、もしかしたら、「など」ってあれじゃね?ナレーションだけじゃなく画面に帽子シルエットで写りますーってことじゃね?、、、いやそれライブで毎度飽きるほど見てますからシルエット!と、24時前、なかば歌は諦めてたんですが。
生歌来たねー!!選曲は、やっぱ僕死で、しかも弾き語りで、これ以上無いメッセージの篭ったステージでしたね。「死のうと思うのは、生きる事に真面目すぎるから」と「あなたのような人が生きてる世界に少し期待するよ」って歌詞が胸にきますね。いこまさんも言ってたけど、その年代年代で、胸に刺さる言葉って、いろいろで。10代で、わからなかった事、不安だった事が、20代で、あっ、、、そういうことだったのか、、、って、胸にストンと、入ってくることもあるし、それでも、生きる事が辛くて30代、40代と、悩み悩んで死にたくて、でも、生きてて良かったって思う日が.あるから、、、どうか生きててほしいなぁと思います。「死にたい」が解消されなくても、解決されなくても、10代の頃に振り回された、辛い思いや傷と共に、死にたい思いを抱えながら、大人になって生きてっても、大丈夫なんやで。と、えぇ年した、死にたがりのオバちゃん(私)は、言いたくなるのです。
『私の過去の痛みは、あの子のためにこそ使う(by独白の歌詞)』
番組でも、誰かが言ってた、「自分の心に空いた穴は、誰かに埋めてもらうための穴ではなくて、もしかしたら、同じような気持ちを持つ誰かを救うためにできた穴なのかもしれない」みたいな。
言葉に出来ない想いこそ。言葉にするべきで。
。2年前の私が救われたように、まだ見ぬ誰かが救われるといいな。
こっからは、脊髄反射な萌え感想。
生放送で完璧な顔シークレット技術!一寸のポロリのカケラも無かったぜ!後ろ姿の黒白チェックシャツがモサモコ可愛いなぁ、もうすぐ秋仕様かーでも、歌に力を込めてる背中が、またモサモコカッコいい、、、。帽子限定アマザ帽じゃん、武道館からずっと、めっちゃ活用してるじゃん、、、あれツバ広だから、顔伏せには絶大な効果なんかな。ポロリ防止か、結構しっかりめに深くかぶってたね。ズボンサルエルか?サルエル好きだなリズムを控えめに横にとる脚の可愛さが増大するだろコンチキショー!か、わ、い、い!(嘘、すみませんカッコイイですすみません後光が差し過ぎて逆光で御姿が漆黒で見えなくなるくらい神)
相変わらずライブとか一発勝負な時は、声量と熱量ハンパなくない?あんなん目の前で歌われたら号泣やわ。口から音源以上、音源超えてくるから、、ライブも何回でも行きたくなるんだよ。
ふふふ。旦那が散髪に行ってる間に、エンドレスリピートして少し追記しました。
今日は、深夜にジャムの方で打首なので、また深夜に転げ回る予定です。(ガンダムオリジンと録画重なるから、リアルタイムで見るわ)